いま、日本の山は危機的状況に窮しているというと、みなさんは驚かれるだろうか。
でもこれはまぎれもない事実。年々深刻化する自然災害、人的資源の枯渇、資材高騰による原価率の問題。そして、一部人気エリアのオーバーユースによる環境ダメージの一方で、過疎エリアでの管理者不在による登山道の荒廃……。こうしたさまざまな問題は、一挙手一投足で解決できるないことがほとんど。なぜならば、各山域において課題のありかたもまたさまざまで、現場では八方塞がりの状況も少なくない。
2023年に発足した「日本山岳歩道協会(以下、JTA)」は日本各地で登山道の維持管理に関する活動に取り組む団体とアウトドア関連企業が連携し、持続可能な環境保全のあり方を提案することを目的とした団体。日本の美しい山岳景観を永続的に保全し、また効果的に活用することを目指している。そのJTA主催による初の全国的シンポジウムが北海道・大雪旭川エリアで開催された。その内容を振り返りながら。過去、現在、未来に向けた山岳文化のありかたを考えてみよう。
日本山岳歩道協会発足の背景
全国各地で登山道保全に関わっている個人・団体は数多く存在する。こうした活動で懸念に上がるのは「人」「時」「金」の三要素。とくに「人」に関しての問題は重要で、これまでの山小屋関係者やボランティアに頼った登山道保全は限界を迎えている。そうしたなかで、ローカリズムともいえる「ホームマウンテン」の意識を広く一般にも抱いてもらい、官民+個人によって山を支える「共助」の意識が日本の山を守る重要要素となる。
そして「人」に関して追記すれば、「参加してみたいけれど、どこからどうすればよいのかわからない」、「自分たちの山域に合った方法での修復技術を教えてほしい」といった声も大きいと聞く。こうしたリクエストに応え、長年に渡る北海道・大雪山での活動経験を背景に、全国で登山道保全に関する講演や活動支援を積極的に行なっていたのが日本山岳歩道協会の発起人のひとりである「大雪山・山守隊」の岡崎哲三さんだ。
「人のためではなく、自然のために、ひいては人のためになる」
これは岡崎さんがたびたび口にする登山道保全の理念。現在の登山道の多くは人間の歩きやすさや、整備費用や工数の都合に合わせて道がつけられている。その結果、自然の意思に逆らい、植生保護がなされず、また水害に弱く壊れやすい構造となってしまうという。これを解決するためには個人の意識改革のみならず、道路工事の延長線で登山道整備を行なってきた行政側の慣習にも異議をとなえなければならないだろう。
こうした状況のなかで、各分野で活躍してきたリーダーたちが同時発生的に同じ思いに至る。「雲ノ平山荘」 オーナーの伊藤二朗さんは北アルプスの雲ノ平にて各分野の研究者とともに、山域の土壌回復に古くから取り組み、そのなかで感じた現在の制度問題についてたびたび発言を繰り返してきた。また、登山家としても知られる花谷泰広さんは登るだけの山から、保全しつつ登るという意義について、方法論を模索していたという。ここに「ヤマップ」代表の春山慶彦さんが加わり、4人が発起人として団体の枠組みができあがる。その後、周囲の関係者やアウトドア企業に理解を求め、2023年4月にJTA誕生という流れとなった。
第1回 日本山岳保全サミット in 大雪山旭岳
初のシンポジウム会場は大雪山のお膝元、北海道・東川町の「せんとぴゅあ」。東川町は全国でも有数の文化・芸術に理解の深い町として知られている。そのコミュニティセンターに定員を超える一般参加者が集まった。第1部は伊藤さんによる協会発足の背景説明と、春山さんによる登山文化についての考察という基調講演。
伊藤さんの講演では、日本における国立公園のありかたや自然保護に関する歴史背景と、世界の環境保護体制との状況比較が語られた。歴史的に日本人は自然信仰的な性質を持つ民族といわれてきた。しかし、実際には類稀に豊かな自然環境が独特な文化を醸成した一方で、その豊かさゆえに「自然はあって当たり前」という意識が先行してしまっている傾向がある。経済優先に舵を切った近代以降は、生態系や景観などの保全に対する危機感はいよいよ薄れ、環境保全に関する意識の成熟度は世界のなかでも一周遅れの状況にある。国立公園も利用の規模に対し、保全の力があまりにも小さく、利用の目的である自然や文化が壊れかけている。気候危機の時代において、より大きな視点を持って自然環境の価値を見つめ直し、利用と保全のバランスを是正していかなければならない、と訴えた。
春山さんの講演では「山と人」の関わりに焦点をあて、自然観をリライトする提案が行なわれた。山という共通の“好き”を求心力に、物質的豊かさと精神的な豊かさを良き方向に深化させてゆく。海は山の恋人という言葉にもあるように、山の恵みはすべての源。山が豊かになることで、私たちの人生も実り多いものとなる。そんな未来を描くためには、山への興味関心を広く訴求させることが重要。だれもが山への想いを馳せることがあたりまえとなるために、今回のシンポジウムは貴重な第一歩だと語った。
第2部はふたりを含めた有識者6名によるパネルディスカッション。それぞれの立場での活動報告と意見交換ではふだん耳にすることの少ない貴重な話も飛び出した。その際に上がった論点や登山道保全の課題は以下のようになる。
<一般意識に起因する課題>
・現在の荒廃した登山道整備の状況周知
・植生の復元、山岳景観の保全への理解周知
・利便性、歩きやすさ優先の登山道整備からの脱却
・人任せではなく、自ら行動する意識改革
・だれもが参加できる共助の仕組みづくり
・山に行かない人と、山との関わり方の模索
<各種団体に起因する課題>
・山小屋やボランティアなどの担い手不足
・登山道保全活動に参加を促す仕組みの構築
・保全に関わりたい人を増やす広報活動
・整備指導が可能な人材育成の仕組みづくり
・保全活動資金の調達
<制度に起因する課題>
・インパクトの少ない登山道整備の実施
・登山道の管理責任を明確に
・山岳景観や生態系を保全する法令の制定
・保全と利用のバランスが取れていない
・行政と関連団体の連携不足
・自然保全に関する制度改革
こうしたさまざまな問題に対して、だれもが明確な答えを持ち合わせていない。でも、まずJTAとして行動に移すべきは「伝える」ことからという意見が大勢を占めた。そこで重要となるのが冒頭でも触れた「共助」というキーワード。繰り返しとなるが、現在の山岳業界は担い手不足に苛まれている。そもそもの人口低下に加え、山を守るためのシステムも破綻の一歩手前といえるかもしれない。それを解決するためには、民間企業・行政機関に加え、一般の登山者はもちろんのこと、山を登らない人々にも、山を保全する意義を伝えることが不可欠なのだ。
次の世代に日本の美しい山岳景観を手渡すために、過去の事例を振り返り、現状を見つめて、理想とする将来像を思い描くことを、自然を愛するすべての人々に伝え、みんなで守る。その“つなぎて”としてJTAに寄せる期待は大きい。
「気づき」「共感」「行動」が登山道保全の3大要素
今回のイベントではシンポジウムの前後日程でコアメンバーによる大雪山での登山道修復作業が行なわれた。初日は現場の視察。この際に重要となるのが周囲の自然観察と想像を膨らませること。該当エリアを構成する土壌や岩質、植物の生育具合、雨が降った際の水流や流れる方向などを考慮して、参加者同士でどう修復するかを話し合う。現場の単純な復元ではなく、将来あるべき姿をイメージして、最適解を導き出すセンスが問われる。これは岡崎さんが長年に渡り実践してきた「近自然工法」に端を発している。「気づき」「共感」「行動」が登山道保全の3大要素であると彼はいう。
「気づき」が第一段階で視察はこれにあたる。そして、みんなで話し合い、合意形成ができた状況が「共感」。大切なのは指示通りにやることではなく、各人の創意工夫。登山道整備に正解はない。もちろん、基本的な技術の前提はあるにせよ、作業ではなくクリエイティブ(想像)としての価値を見出すことによって、継続的な活動につながる。こうした説明を受けながら、参加者たちは崩壊前の山岳景観に想いを寄せていた。
そして、シンポジウム後の最終日は「行動」。総勢41人が整備用具を担ぎ上げての修復作業日を迎えた。今回は崩壊した木道を撤去して、排水溝などに使われるグレーチングを代わりに設置する。現場の作業手順は以下となる(本来であれば下記に加えて、資材運搬と廃材撤去が必要。大雪山エリアでは残雪期に事前と事後の搬送作業を行なっている)。
①記録写真撮影
②チームごとによる話し合い
③古い木道の撤去
④現場に即したグレーチングの設置
⑤修復後の意見交換
3チームに分かれ、状況に合わせた最適解を導き出すために話し合いを行ない、黙々と作業に興じるメンバーたち。崩壊した木道は広範囲に渡り、今回の作業では20メートルほどしか修繕できない。しかしながら、これを地道に繰り返しているのが全国の現場。枕木ひとつ運びだすだけで、どれほどの労力が必要か、身を持って体験することは貴重な財産となる。4時間ほどで作業は終了し、各チームの仕事ぶりに対して、意見交換が行なわれた。天候にも恵まれ、すべての予定を消化し「第1回 日本山岳保全サミット in 大雪山旭岳」は無事閉幕となった。
登山道修繕の現場作業も併せて実施。現状の観察と考察、そして作業をワンセットで行なう。
参加者の多くが口にしていたのが、実際に現場で同じ作業にあたった充実感。とかくオンラインでのミーティングが多い現代において、対面での現場仕事というのは、やはり一体感の醸成にはうってつけのもの。
「山小屋経営を行なっている身としては、サマーシーズンに他の山岳エリアを訪れることは貴重な体験。大雪山の雄大な自然に触れて、岡崎さんが熱意を持って活動を行なっている根幹に触れたように感じました」とは伊藤さんの感想。そう思わずにはいられないほど、大雪の山々は魅力的かつ充実の3日間だった。
最後に、登山道保全の3大要素「気づき」「共感」「行動」についてだが、これは現場修復のみならず、大きな意味での行動様式にも当てはまる。その点について岡崎さんはこう語る。
「まずは現状を理解し課題を共有、向かうべき方向を見出し、各自が目標をもって協働していくこと。次の共感や行動に段階を上げるためには、各自の取り組みも必要となり、また今後の日本山岳歩道協会がどれだけ多くの発信をし、具体的なアイデアを見せていけるのかが重要だと考えています。今回の取り組みは『行動すること』への足掛かりでしかなく、このサミットを開催したことにより、だれかがなにかの行動を起こしてくれていたら嬉しく思います」
文◎朝比奈耕太
写真◎佐藤圭、大雪山・山守隊