登山道の利用量に対して保全の量が足りていない
ーーまず花谷さん(北杜山守隊/山梨)、岡崎哲三さん(大雪山山守隊/北海道)、伊藤二朗さん(雲ノ平トレイルクラブ/北アルプス)、春山慶彦さん(YAMAP)という4名のメンバーで協会を設立した経緯から教えてください。
花谷:2022年春に伊藤二朗さんや岡崎哲三さんの呼びかけで山岳関係者が集い、登山道保全活動について話し合う機会がありました。その席で「保全活動を広げていくためには横のつながりと情報発信が必要だ」という共通認識が浮かび上がりました。
そして、近自然工法による生態系回復を目指した登山道保全活動を長年行ってきた大雪山山守隊、北アルプスで活動する雲ノ平トレイルクラブ、登山アプリとコミュニティサイトを運営するYAMAP、僕らの北杜山守隊という4つの組織を軸に団体としての活動をスタートすることになりました。パタゴニア日本支社の助成金を活用して情報発信のためのサイトを作成して、2023年6月から日本山岳歩道協会としての活動が始まりました。
ーーなぜこのタイミングでの設立だったのでしょうか。
花谷:みんなが同じように「いまやらなければいけない」と強く感じていたことがいちばんの理由です。岡崎さんと二朗さんは他に先駆けて、20年程前から生態系や景観回復のための保全活動を行ってきました。お二人から、これまでにはさまざまな苦労があったと聞いています。僕が北杜山守隊を結成したのは
2022年4月ですから、最初の会合時にはまだ活動実績などほとんどなかったわけですが、目指す世界が共通していたので、一緒に活動させてもらうことで僕自身もいろいろ学んでいけると思いました。
ーーいま登山道が抱えている課題について教えてください。
花谷:まず、登山道の利用量に対して保全の量がまったく足りていないという大きな問題があります。保全が足りない理由は「資金不足」と「担い手不足」。このふたつが両輪となって回らないと持続的な活動ができず、どんなプランも絵に描いた餅になってしまう。それを解決していかないと、登山道とそれを取り巻く自然環境は悪化の一途を辿ってしまうんです。しっかり保全をして生態系を回復し、失われつつある美しい自然環境をできるだけ元の形に戻していこうという想いが根本にあります。
僕個人は、具体的な解決方法はいろいろあると思っているんですよ。たとえば北杜山守隊の場合は、学びの場として登山者参加型の登山道保全ワークショップを有料で行うなどして、自主財源を増やす取り組みに力を入れています。2023年度の収入でいうと行政の予算(整備委託金)は収入全体の3分の1、残りの3分の2は自分たちでつくりだした売上です。行政と連携しながらも、行政の予算だけに頼らない組織づくりを目指しています。
ヒマラヤでえぐれた登山道を目にしない理由
ーー花谷さんは毎年ヒマラヤなど海外へ遠征されています。国内外をご覧になられて、生態系に対する意識や登山道の荒廃具合などに大きな違いはあるのでしょうか。
花谷:国内に関していえば、登山道が浸食されていたり、踏み荒らされたことで複線化が進んでしまったりといった状況を各地で頻繁に目にしています。海外でももちろんそういう状況の場所はあったりしますが、僕がよく訪れるヒマラヤについていうと、日本ほど登山道がえぐれている場所はまず目にしません。それはおそらく、ヒマラヤのトレッキングルートは各集落を結んだ生活道でもあり、地元の人たちがすぐに道普請をしているからだと思います。
かつては日本もまったく同じでした。山から薪や炭を下ろしたりするとき、道が荒れていたら仕事がやりにくい。だから度々、人の手が入って修復されていたのだと思います。それがエネルギーの変化により薪や炭が使われなくなって、山と人との距離が少し離れてしまった結果、日本の山は荒廃していったのではないかと思っています。
ーー日常的に山に人が入らなくなったことが荒廃が進んだ要因のひとつであるわけですね。
花谷:そうですね。道が荒れる主な原因は水です。台風や集中豪雨などによる水の影響で、もともとあった登山道がえぐれて歩きにくくなった結果、より歩きやすい脇を人が歩くようになり脇道ができてしまった。しかし道が荒れるいちばんの原因は「放置」です。もし、そうなる前にえぐれた箇所が修復されていたら、脇道は生まれないわけです。登山者も別に歩きたくて脇を歩いてしまったわけではなくて、本来の道が荒れて危険だから脇を歩かざるを得なかったのだと思います。そうした状況をつくり出しているのは、明らかに手当不足だと僕は考えています。
人が歩いたり水が流れたりする以上、登山道は少なからず傷つくわけで、その傷に対して必要な手当がまったく追いついていない。傷だらけの出血状態というのが、いまの日本の山々です。
ーー近年、異常気象によって自然災害が大きくなったと言われています。それにより登山道の荒廃もより深刻になってきたのでしょうか。
花谷:僕が担当している南アルプスの甲斐駒ヶ岳エリアに関していえば、侵食の広がりはより顕著になってきています。結果的には大雨が原因ではあるんですが、それより前からダメージはあったんですよね。これまでの雨水や人の踏み荒らしなどによってダメージが蓄積していたところに、台風や集中豪雨がとどめを刺したといったらいいのかな。とどめを刺したのは近年の自然災害かもしれないけれど、すでにそうなる前兆があって悪化が進んでしまった。異常気象が破壊のスピードを早めて変化を大きくしたといえます。
協会の役割は主に3つ
ーー協会の役割について、花谷さんのお考えを教えてください。
花谷:協会としてやるべきことは大きく三つあると思っています。一つは、まずこういった問題が起こっていることを知ってもらうための情報発信。登山者に対して広く発信して啓発していくことが大事だと思っています。
二つ目は全国で登山道保全の活動をしようとしている人たちの拠り所としての役割です。情報交換もそれに含まれます。協会はそうした各地のプレイヤーや団体を統轄する組織になるのが理想です。
三つ目は国とやりとりする際の窓口としての役割。保全活動を推進するために法律や制度を変えていこうというとき、この協会が全国の団体を統括する組織であれば国と対峙できます。将来的にはそうした組織になっていければと思っています。
自然環境を維持するための制度が不足している
ーーいま現在、自然公園について国の制度として足りないものはなんでしょうか。
花谷:いくつもあると思いますが、その一つはレンジャー(自然保護官)の数です。レンジャーは自然公園法に基づいて、公園の保護や利用についての計画を立てたり、現地でパトロールを行ったりする人たちです。日本のレンジャーは全国で約260名存在しますが、それに対してアメリカは2万人もいるんですよ。もちろん国立公園の面積や制度そのものも違うわけですけど、それにしても日本は圧倒的に少ないと感じています。
さらにアメリカの場合、2万人のレンジャーに対して14万人のボランティアが存在し、彼らがレンジャーの活動を補完しています。ボランティアを受け入れるためのパークボランティア制度や民間団体があり、会員になることで活動できるような仕組みができています。
社会全体としても保全活動を後押しする仕組みができていて、法律が制定されていたり、ボランティア活動をすることで就職に有利になったり、民間団体への寄付が控除対象になったりと何らかのインセンティブがあるんですね。メリットがあるから携わる人が増えるわけです。
日本の場合はそうした仕組みがなく、どうしても個人の気持ちに委ねられてしまう。民間団体もそれぞれが小さく、ボランティアを受け入れる体制もほとんど整っていない。またその民間団体も、運営までボランティアで行っている団体が多く、それでは長く活動を続けることは困難です。そこはやはり仕組みづくりから行うべきだと僕は考えています。
背景にあるのは高齢化と登山コミュニティの変化
ーーさきほどエネルギーの変化によって人が日常的に山に入らなくなったというお話がありました。大きな登山ブームが起こった昭和やその後の平成の時代には、登山道の維持管理はどのような形で行われていたのでしょうか。
花谷:日本の国立公園は地域ごとに分かれているので、建前上はその地域に関わるステークホルダー(利害関係者)が共同で整備を担うということになっています。しかし実際は国や地方公共団体などの行政が関わるいわゆる「公助」の部分が乏しく、ほぼその地域の有志の方々がボランティアで関わるいわゆる「自助」によって成り立っていた部分が大きかったと思います。各地の山岳会も盛況で、若い人たちがたくさん所属していましたから、かつてはそうした人たちが登山道整備に携わっていました。昭和の頃は上手く回っていたのだと思います。
でも現在のように高齢化が進んでくると、地域の担い手はどんどん減っていくわけで、その分の人手を担保しなければならない。登山道保全の作業は少人数では限界があり、それなりの人数が必要なんです。
ーー国内における高齢化は登山道整備にも大きな影響を与えているわけですね。
花谷:そうです。また、担い手不足の背景には登山界におけるコミュニティの変化も挙げられます。かつての山岳会は山の技術を学んだり、山に一緒に行くパートナーを見つけたりといったコミュニティ機能を有していました。でもいまは個人単位で行動する人も多いし、コミュニティもSNSを通してつくれてしまう。技術に関しても、良い悪いは別にして、YouTubeで知る人たちもいるわけで、人と人との繋がり方が昔とは異なってきています。コミュニティの形が変化したいま、登山道の維持管理についても根本的な仕組みを変えていく必要が生じているわけです。
いまの登山界の仕組みが整ったのは、現在70〜80代の人たちが30〜40代くらいの頃。それから約40〜50年経っているわけで、いろいろなものごとを再構築すべきタイミングに来ていると思います。2025年には団塊世代が全員後期高齢者になりますから、もう時間的な余裕はないんですよ。これからますます高齢化が深刻化して、加速度的に状況は悪くなっていくでしょうから。
ーー登山道保全への関心はここ数年で少しずつ高まっているように感じますが、いかがでしょうか。
花谷:確かに高まってきています。きっかけはコロナ禍なんじゃないかな。コロナ禍によって社会が一旦停止したことが、ものごとを根本的に考え直す契機になったように思います。しかしいまは、ある意味「登山道整備ブーム」みたいな状況になっていることを危惧しています。これから各地でいろいろな団体や活動が立ち上がるでしょうが、何度も言いますが、気持ちだけでは持続できません。冒頭に述べたように「資金不足」と「担い手不足」を解消する仕組みづくりに真剣に取り組まないと、5年後とかには、再び活動ができなくなるような地域が続出する気がします。
いま行動を起こさないと日本の山の未来はない
ーー花谷さんが想い描く、この活動の先にあるイメージを教えてください。
花谷:逆に言うと、こうした活動をみんなでやっていかないと、日本の山に未来はないでしょうね。日本の登山道は終焉してしまうと思う。それくらい状況は切迫しています。
どう解決していくかは地域によっても異なるでしょう。たとえば先ほどお話ししたように、北杜山守隊ではレクリエーションとして楽しめる登山道保全のワークショップを開催しているわけですが、そうしたいわゆる「共助」による活動が可能なのは北杜市が首都圏から近く人が集まりやすいからです。でも都市部から離れている地域で同じことをしようとしたら難しいと思うんですよね。そうなると公費負担を増やすなどして維持管理していく必要が出てくる。地域ごとにいろんなケースが考えられるわけで、今後、それぞれの地域が最適解を見つけられるような情報発信がこの協会からできたらと思っています。
ーー最後に本協会の活動に興味を持ってくださった方々にメッセージをお願いします。
花谷:まだスタートしたばかりでいろいろなことが整っていない状況ですが、いずれはこの協会が情報を集約するポータルサイトとなり、各地で実際に活動している団体などに皆さんを繋いでいけたらと思っています。僕自身も登山道保全活動を本格的に始めてまだ3年しか経っていませんから、実は皆さんと変わらないんです。ぜひ一緒に楽しみながら行動を起こしていきましょう。
インタビュー&文=千葉弓子
写真=花谷泰広、北杜山守隊、武部努龍
(掲載日=2024年5月)